[小田部] 大友氏の武将・小田部鎮元(しげもと)が領主で、早良一帯を治めていたが、天正7年(1579年)大友氏の衰退に乗じて攻めてきた佐賀の竜造隆信に囲まれて、兵糧も水も尽き、ついに鎮元は自刃。小田部家とその家来は離散したそうです。離散した一族・家来を「安楽平くずれ」と言います。その中からのちに大成した人たちも多く、「西の油屋・東の岩田屋」といわれた呉服商の伊佐家と中牟田家は、ともに小田部の家臣で伊佐新助・中牟田紀伊守の子孫だったそうです。
小田部の領地だったので、当然、小田部の地名も残りました。
総人口 8,753人 世帯数 3141世帯
《路地裏の風景》
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